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小さな手大きな手

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2007年09月04週
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 いくつかの経緯があって手にすることになった「免疫の意味論」(多田富雄、青土社)を読むことになりました。「同業者だけに通ずる記号でしか話せなくなった」免疫学を、「ふつうの言葉に翻訳すること」が著者の意図とは言え専門的な“記号”の多い書物です。記号の基礎的な理解のないまま読み始めても、2~3ページで立ち往生を繰り返すことになります。例えば、全体を通しカギになる記号として繰り返されるのが“T細胞”です。「若い動物では心臓の前面を覆うようにかなり大きな面積を占めている」のが「胸腺」で「この『胸腺』からサプライされる細胞Thymus(胸腺)のTを取ったT細胞と呼ばれるリンパ球である。T細胞は、いろいろな免疫反応に参加し、ことに『自己』と『非自己』を識別し、『非自己』を強力に排除するための免疫反応の主役となる」。その“主役”のT細胞を軸にして書かれているのが「免疫の意味論」です。もちろん、他にも記号はいっぱいです。前述の「自己」と「非自己」は、この書物のもう一つの軸です。例えば、その原因がウイルスであることが解っているインフルエンザウイルスは「自己」に対して「非自己」ということになります。本来の自己ではない「自己」が「非自己」です。この「非自己」を識別し、攻撃する役割を担って「自己」を守る主役がT細胞ということになります。なりますが、事はそう簡単でなかったりします。例えば、エイズウイルスは「自己」の中に入り込んで「自己」の反応を利用して増殖します。そのエイズを「自己」から追い出す方法は現在のところ皆無といわれます。マラリヤ原虫が「自己」の中に入り込んで「自己」に感染し「自己」の中で繰り返し生育・増殖するのも止めることはできません。ということで「『自己』と『非自己』は、互いに曖昧につながっている。それにも関わらず『自己』の同一性は、その時々で保たれている」という、いわば「危険なバランスの上に成立している」のが、生きている人の命として了解するよりないというのが「免疫の意味論」の“意味”の“意味”だということが解ります。
 


「免疫の意味論」を通読して、少しばかり理解できた免疫のことと同じくらい重要だと考えられているのがこの“意味”です。免疫学は、この書物がそうであるように“記号”がいっぱいの世界です。新しい発見があって、免疫学の“記号”は更に増えます。しかし、記号が増えることで、人という生きものの定義やその理解、人という生きものとの付き合い方がしやすくなるのではないことを、人は経験的に知っています。人という生きものを前にして、最先端の記号を駆使して免疫学が明らかにし得るのは、その“不思議”であるとすれば、書物のもう一つの、そして最大の課題は「免疫の“意味論”」になりました。 
 


 9月20日の「アレキサンダー・シェヴチェンコ/バヤーンコンサート」には、300人を越える人たちが集まり、そのうち200人近くが子供たちでした。演奏された「チャルダッシュ」、「ノクターン」、「バチンの少年」などの曲が、子どもたちの心にどんな風に届いたのかは解りません。書いていただいたアンケートの中には“うるさかった”というのもありました。確かに、そんな場面もなくはありませんでした。しかし、200を越えるボタンを駆使してサーシャの演奏するバヤーンは、聞く人たちを、見る人たちを魅了しないではおきませんでした。熱心に聴いて、熱心に見つめた演奏の毎に繰り返される拍手は、“うるさかった”と書かれた子どもたちも例外ではありませんでした。聞くことでも見つめることでも拍手をすることでも、大人もと子どもたちも一体にする力を、サーシャのバヤーンの演奏は持っていました。確かに、演奏された音楽の意味は、子どもたちには理解しにくかったかもしれません。しかし、心を込め、力を込めて演奏する人と間近に出会うことには意味があります。そうして聞くに値する音楽の演奏を熱心に聞いて、熱心に見つめる人たちと、一緒に過ごす時間にも意味があります。更に、いい演奏に、思わずそして心を込めて拍手する人たちがそこに一緒にいることにも意味があります。
 


 翌日、別の場所で行なわれたサーシャのバヤーンの演奏の後、挨拶に立った責任者が“・・・君たちも、努力すればサーシャさんのように演奏できるようになる”と、子どもたちを励ましていました。そうではなくて、いい演奏を間近に聞けたことの喜びや驚きを語り、並大抵のことでは真似られないことを素直に認め、しかし、そんな人と演奏に出会えたことが、今日そこにいることの“意味”であること、生きていること人生には“意味”があることを、生きた出来事として子どもたちに伝えるまたとない機会ではあったのです。
 


 人生には"意味"があること、その意味を具体的に生きた場所を共有した人が、"意味"があることとして伝え始めて、子どもたちは自分が生きる"意味"を理解し始めます。
 

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