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2012年11月01週
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 はじめての海外旅行は“米国”でした。360円が1ドルだった、円とドルの交換が変動制になった40年近く前のことです。普通の人間が行けそうな金額になったことと、サンフランシスコの長老派の教会の日語部で、学生の頃からお世話になった先輩が働いていたというのがもう一つの理由です。その後、ハワイには2度出掛けています。ホノルルではやはり合同メソヂスト教会の日語部で働いている牧師の友人にお世話になりました。2度目はハワイ島などを、日本で日系人の宣教師として働いていた、ロン・フジヨシ牧師に案内してもらうことになりました。ロンは日本で指紋押捺を拒否した在日の人たちと呼応し、自分も外国人登録証の指紋の押捺を拒否した為、再入国できなくなっていました。ロンからは、ハワイの田舎の人たちのクリスマス、年末・年始の過ごし方などを教えてもらったりしました。
 関西神学塾の桑原重夫団長のもと、パレスチナを訪れることになったのは、「牧師は、一度くらいイスラエルに行っておきなさい」というスポンサーもあって、実現することになりました。この時のイスラエルは、いわゆる“聖地訪問”というより、多くは、パレスチナの人たちとの交流が目的でした。インティファーダ(イスラエルの武力支配に蜂起したパレスチナ人の闘い)に連帯し、病院などに援助金を直接届けるということで、現地の支援者との交流、パレスチナ人の家庭に招かれるということも何度かありました。ガザでは、現地の人たちが歓迎の昼食会を開いてくれたり、難民キャンプでは、子どもたちにけん玉を届けたりもしました。その時のパレスチナで、結婚を間近にしたパレスチナ人のアカーリさんからは、“結婚祝い”として、自作の絵を買い求めたりしました。その絵は、今も教会の集会室の壁にかかっています。アカーリさんの何よりの願い、パレスチナで宗教・民族が共存している姿を象徴する絵です。絵にはユダヤ教の塔と、ギリシャ正教の塔と、キリスト教の塔がそれぞれのたたずまいで並んで描かれています。
 フランス旅行は、関西神学塾の田川建三先生が、ストラスブール大学で働いておられた頃のことです。先生が2年おられる予定が1年で帰ることになり、急に組まれた旅行でした。この時も、やはりフランスに詳しい桑原重夫先生が団長で、フランスに着いてすぐ、北駅の近くのホテルを起点に、「パリは歩くものだ!」との団長の“命令”でパリをあっちこっちと歩かされ、ルーブルなどは素通りでした。旅の中・後半、パリから夜行列車でストラスブールに向かうことになりました。そのストラスブールでは、日程のすべてを、田川先生の“分刻み”のスケジュールの最大限のもてなしを受けることになりました。田川先生の先生でもあり同僚でもある、トロクメ先生の研修室で記念写真を写すなどということもありました。田川先生が懇意にしているストラスブールのぶどう農家を訪ね、ぶどう園を歩き、そのぶどうを醸造したぶどう酒を試飲して購入するということもさせてもらいました。購入したのは、ここ4・5年でぶどうの出来が一番だった、「ぶどう酒の質は、その年のぶどうの出来で決まる!」という、ぶどう園の主人がすすめるぶどう酒でした。(もちろん忘れられない味のぶどう酒でした)。
 1998年のトルコの地震の後、3度トルコを訪れることになりました。地理、気候風土、そして何より言葉の解らないトルコに行くことになったのは、兵庫県南部大地震を経験が元になった、トルコの被災地を“見る”という強い決意でした。決意が通じ、西宮公同教会のKさんに、イスタンブールで旅行業をしている日本の人を紹介され、その人と連絡がつき、運転手とガイドを雇う目途がたち、地震から2週間目にトルコに向かいました。日本に留学した経験もある、日本語・英語・ドイツ語・トルコ語のできるガイド・オキアイさんは、更に地震の被災地への訪問をガイドするという、難しい課題に十分に応えてくれました。たとえば被災者が避難しているテント村、葬られている墓地の様子など、その時々の判断で、行く先々で訪ね回って、捜し回って案内してくれるという具合でした。オキアイさんは、都合3度行くことになるトルコの地震の被災地で2ヶ月後、半年後と様子が変わって行くことを見届けるという希望にも十分応えてもらうことができました。中でも、日本の教会からの支援金約3,000万円が、アクトという国際組織を経由して、トルコではその支援会をゆだねられている、イスタンブールのアメリカンボードでの“交渉”にも通訳として立ち会ってもらったりしました。トルコは99.9%イスラム教の国で、キリスト教のアメリカンボードは、せっかくの資金の大半を残していることを確かめ、トルコで少なからず勢力のある、中東キリスト教協議会、アルメニア教会にそれを託することを提案しましたが、2回に渡る交渉でも受け入れてもらえませんでした。
 という、海外旅行を少なからず経験していますが、朝鮮半島や中国や、他のアジアの国々を訪れたことはありません。米国やパレスチナ、トルコのような機会が全くなかった訳ではありませんが、一番の理由は少なからずひるませるものがあったからです。「韓国や中国で(日本に対する)怒りが続く理由」(「なぜ、まだ領土問題なのか」ジョン・ダウー、10月30日朝日新聞)について、理解できるつもりで生きてきて、それを欠いた日本の敗戦後の歴史に対する後ろめたさが、アジアの国々を訪ねる決断をひるませることになりました。しかし、中国及び日中関係に関する現代史の文献、魯迅を中心に中国文学や中国文学研究者の書いたものなどを、誰にも負けないくらい学んできたつもりです。それらの理解にもとづく時、「韓国や中国で怒りが続く」ことは、理解もし納得もできる気がします。

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