日本キリスト教団西宮公同教会・西宮公同幼稚園
教会について
礼拝・諸集会のご案内
小さな手・大きな手
公同通信
教会学校について
公同幼稚園について
どろんこと太陽
関西神学塾:スケジュール
関西神学塾:講師紹介
楽しい学習
賃貸住宅事業部とは
テナントについて
活動内容
アートガレーヂについて
催し物のご案内
リンク
アクセスマップ
お問い合せ
width=1
top>小さな手大きな手
width=639
小さな手大きな手

height=1
2019年09月05週
height=1
(前々週よりのつづき)
 そうした願いの中で生まれたのが、2017年5月の文在寅大統領です。文在寅の略年譜によれば(「運命/文在寅自伝」岩波書店)、1975年の、朴正煕大統領を終身大統領にする「維新憲法」に反対する活動主導・デモなどで逮捕拘束、更に、1980年に反独裁民主化闘争で拘束されます。南北朝鮮の分断、分断国家・大韓民国をその存立においてがんじがらめにする、分断の固定化、反共主義が、強権・独裁政治の温床となり続ける韓国で、たぶん文在寅大統領は一貫してその「民主化」の闘いの只中で生き続けてきたことが、自伝及び略年譜から読み取ることができます。学生だった頃の「日韓条約反対」の未熟でつたない活動であったとしても、植民地支配の、支配の当事者であった日本と、植民地となり人間存在を根底から奪い取られて生きた朝鮮半島の人たち、更に、それが分断国家としての道を歩まざるを得なくなった歴史を理解し、かけらぐらいは寄り添いたいと願っていました。しかし当事者であるはずの日本は、分断国家を認めかつ一方的な「日韓条約」によって、それを助長し、今もその立場をとり続けています。問われ闘い続けてきた「民主化」は、そのことによって踏みにじられ続けることになります。
 そんな時に、噴出することになったのが「徴用工・問題」です。前記の日韓条約の「…財産及び請求権に関する問題の解釈」は、その条約から50年後に、一方の側の、国内的解釈として「請求権」を認めるのは、あり得ることです。かつての「日韓条約反対」の学習および、行動を振り返ってみる時、当然の請求・権利であるように思えます。
 しかし、日韓条約の大韓民国が、米・ソ冷戦の申し子であるとしても、「国家」である限りは、その条約が国家間の約束、条約である事実を否定することはできません。もしそれに異議を申し立てるとしたら、それなりの道筋をたどる必要があるというのは一つの道理です。「…国家として力がついてきた韓国が、65年体制が形骸化したと考え『この協定は時代遅れとなったので、新しい両国関係の基礎をつくる新協定を提案したい』というのであれば、話は別だと思います。理想の新時代を表す条約の在り方についてなら、真摯に話し合うのが筋だと思います」(東郷和彦、京産大教授、2019年9月6日、週刊金曜日)。国家間の条約もまた、歴史的所産であってみれば、その歴史の淘汰に耐えるものである為にも、一方ではなく、相互にそれを見直す視点があってはじめて、内実のある関係が生まれるはずです。「日韓条約」の場合も同様です。しかし、独裁から民主化への道を歩もうとする大韓民国の側にはそれがあったとしても、一方の当事者である日本はと言えばその必要性を全く認めませんでした。
ただ、こうして一線を画する日本の立場ないし、主張の根拠になっているのが、事実というよりは言わば先入観にもとづいた、韓国及び韓国人の理解であるように思えます。いくつかの雑誌が日韓関係を「特集」しています。
・「日本と韓国『国家の品格』」
・「『軍事協定破棄』文政権は外交戦に敗れた」
・「韓国を覆う危険な『楽観論』の正体」
・「韓国政府高官が覚悟の告発/文在寅で大韓民国が地球から消える」
(以上「文芸春秋」10月号、文芸春秋)
・「『反日』の本質を暴く」
・「『反日種族主義』こそ韓国危機の根源だ」
・「なんとも事大主義で夜郎自大」
・「日本への憎悪むき出し、ついに本性表す」
・「韓国はすでに故国、日本は『二度と負けない』」
・「日本への対抗措置もブーメランになるだけ」
・「迷惑行動も『反日』で英雄気分」
・「“知識人”77人が味方よ!」
(以上「正論」10月号、産経新聞)
 「…一方の平地は、土地が痩せていたので、日本が統治時代に農業を近代化するまで極めて低い生産量でした。そのため朝鮮人は昔から、白菜の塩漬けに雑穀という貧しい食事の生活をしてきました。そのような暮らしぶりのためか、朝鮮民謡には哀しい歌が多いのです。今や世界的に有名になった『アリラン』も、聴いているだけで涙が出そうな物悲しいメロディーです」「私は今こそ、この精神(武士道精神)を復活させるべきだと考えています。そこには卑怯を憎む心、慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠(他人の不幸への敏感さ)、恥、名誉、泰然自若などが含まれています。この普遍的な価値観に自分の行動を照らし合わせることによって、自国の論理を押し通そうとするばかりではなく、過敏な言動を自制したり、相手国に譲歩する余裕が生まれてくるのです」(「日本と韓国『国家の品格』」)言われている「朝鮮民謡」「『アリラン』も聞いているだけで涙が出てくる」は、何も朝鮮民謡の「朝鮮」に限らず、日本民謡の「日本」でも、「物悲しいメロディー」は数多く歌われてきました。「五木の子守歌」は、貧しくて子守奉公に出された少女を歌った「物悲しいメロディー」です。しかし、その「物悲しいメロディー」の民謡は、少女たち、貧しい人たちの貧しい社会で歌いつがれてきました。それは、その社会が貧しさを強いている社会でもあったこと、しかし、人々が歌う心を共有し合っていたと言う意味では、ただ貧しかった訳ではなかったことを、歌・民謡がその人たちによって共有されていたこと、その心のつながりを伝えています。

「アリラン」
アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠を 超えてゆく
わたしを捨てて いく人は
十里も行かずに 足が痛む

アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠を 超えてゆく
空には星が 多過ぎる
わたしの暮らしにゃ 苦労が多い

アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠を 超えてゆく
実りの秋が 近づいて
豊年万作 嬉しいね

アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠を 超えてゆく
この世はすべて 泡沫(うたかた)よ
流れる水のよに 戻らない

(次週につづく)

height=1
[バックナンバーを表示する]
height=1


?????width=80

Copyright (C) 2005 koudoukyoukai All Rights Reserved.